松井秀喜の子供の頃の夢は、プロ野球選手かパイロットになることだったそうです。
共通点は、どちらも大好きなものだということです。
小学生からの座右の銘は、「努力できることが才能である」という言葉。
小学3年生の頃、父の昌雄さんから教わったもので、昌雄さんが半紙に書いたその言葉を、ずっと机の前に貼っていたとか。
誠実さから周りの信頼を集めていたのは、少年時代からのようです。
こんなエピソードがあります。
松井が所属していた少年野球クラブの主将を決める時のできごと。
このクラブでは、毎年慣例として引退する6年生が次の主将を決めていました。
松井が5年生の年、引退する先輩が選んだのは、その年に入部したばかりの松井選手ではありませんでしたが、選ばれた選手が中心になり、同級生で話し合った結果、監督に願い出て松井を主将にしたそうです。
人柄をあらわすエピソードは、中学生時代にもありました。
それは、松井選手が中学2年生の時の、中部日本中学野球選手権大会でのできごと。
決勝戦で惜しくも敗れ、3年生はその試合を最後に引退ということになりました。
松井選手が試合に出たことで、ベンチで引退を迎えた3年生に、準優勝メダルを差し出したそうです。
「僕らは、来年金メダルをとるので」と。
その他、甲子園の時のことなど、松井選手の人柄や信条をあらわすエピソードは尽きません。
これらは、「松井秀喜ベースボールミュージアム」や能美市観光物産情報サイト「55nomi(ココノミ)」でも紹介されています。
